2012年12月31日

今年最後の日だから投稿(求職日記)


8社目 広告会社(正社員) 面接で不採用
9社目 印刷会社(正社員) 書類用意済

8社目の結果がわかったのが11月下旬頃。
その後イラストの仕事を久しぶりに頂き、つい先週頃までやっていた。
9社目の書類は、仕事始めの日に合わせて郵送するよう言われている。

モコピッチの今年の漢字は、よくない意味での「実」。
チッポケな自己の実体を、如実に知った(知った出来事の多かった)一年だった。
「実」の反対は「虚」や「幻」。
そんなおぼろげな姿をそれまで認識していたのだと思う。

教えてくれたのは、8月頃に発見した、とある神経症・対人恐怖症に関するブログ。その影響はとても大きい。2006年から続いているようで、時事問題を扱った記事以外は、全て読んでいる。

僕が見ていた「幻」の姿とは、「人とスムーズに会話できる自分」「仕事のできる自分」。この「理想的な姿」を意識の奥の方で描いていたのだと思う。
そして現実の無様な自分との差に苦しむ(=神経症・対人恐怖症の症状)。
人によって苦しみの程度や表れる身体症状は様々だろうが、医者がそれを病気と判断すれば病気。僕程度であれば病気に含まれないはず。
(僕程度に)人と話せないのは、単に人間としてダメ(未熟)であり、普通の人達から見たら、「まだまだ甘い」というだけのこと。
「実」の姿を直視すること。認めること。

例え対人恐怖症が治ったと仮定して(例え理想的な自分に成れたとして)、何をやるのか?が問題。その何かをやる中で
「うまくいく時もあれば時に失敗に終わることもある、試行錯誤を繰り返す、簡単にはいかない、時間もかかる。…そんな感じがずっと続く。…それが当たり前の人生。」
…このことを認識すること。

ただ、そのブログが10月から更新されてなく、気になっている。
仕事で忙しいのだろうか。

読んで頂き有り難うございました。来年も書きますのでね。

2012年11月19日

一般「変人論」

「辞めれば今後、変人として生きることになる」

前々回での記事でいうと《第4段階》、
社長室で言われた言葉だ。

例えば子供の頃、周囲から「変わった人」などと言われ、魅力的なキャラクターだった人が、やがて社会に出ていく。
ある者は活躍の場を拡げていき、ある者は適応できずにレールを外れてしまう…。
二者の違いは、コミュニケーション技術・協調性が備わっているか、備わっていないか。

「変人」という単語が、社会的には必ずしも好意的に用いられていないのだ。

このような話は、多くの社会人が実感したり見聞きしていることだと思う。
「多くの」といっても、なんとなく僕の想像だけど。

「変わっている、人と同じでないことは良いこと」
それは社会人として機能する限りにおいての話。「個性を発揮している人」としてポジチブな印象になる。
しかし、何ら社会にメリットを与えなければ、
「理解不能な人」「近寄り難い人」「スルーしたほうがいい人」などとネガチブな印象でもって扱われる。

社長が僕に対して使った「変人」とは、そのネガチブな意味のことだろう。

コミュニケーションできない人は、できる人達(普通の人)から見た時に、しばしば「変な」振る舞いをするために、不本意ながら「変人」と呼ばれてしまう、と僕は解釈する。

例えば、オフィス勤務中に休憩(外の空気を吸いに外に出ること)もせず、菓子も食わずに黙って仕事を続けている様子を、傍から見たらどう思うだろうか…。奇妙に思うのでは。不気味なほどスタミナのある、クソ真面目な人物だと思うのではないだろうか。
実際は違う。休憩できないほど忙しいのでもなく、「休憩行ってきます」と言えないだけなのだ。周囲が静かに仕事をしている中で菓子を食べることが恥ずかしいからだ。本当は、みんなと同じように振る舞いたいと思っている。…


僕は「変な人」「おもしろい人」、そう言われた経験は今までに何度かある。哀れなことにこの論理を知る1年程前までは、その言葉を好意的に捉えていた。

変人じゃない。僕は、社会人として未熟なだけだ。

2012年11月14日

前回の続きでいえば結局、退職手続きの流れを知らなかった僕が、先の段階が見えずに翻弄されただけなのだ。

退職届を出した日《第6段階》での出来事を少し。
朝。上司と僕以外は出勤していない。
着席している上司へ左側から近づいて中腰になり、辞意を伝えた。
上司「わかりました、…では辞表を提出して下さい。」
モコ「…すみません。」
その時僕がふと至近距離で目を合わせた時の、上司が見せた悲しげな目の表情。

意外だった。
喜怒哀楽の態度、言葉を天真爛漫に出す人だった。
僕がふだん、あまり人の目を見ないため、そのような「目」からこぼれるメッセージを受ける経験に乏しかった、というのもあるだろう。

上司は「役割」としてふるまっており、「使えない奴」の僕が辞めようがどうでもいいと内心思っている、と僕は思っていた。
3ヶ月程度で去る人に対して。

実際の心境は聞いてみないとわからない。
小さいながらも会社の戦力が失われることの残念さ(仕事のしわ寄せ)や、管理者としての自分に対して残念に感じたのかもしれない。

辞める会社やその中の社員に対して、どうでもいいと思っていたのは、僕の方だったのではないだろうか?
徐々にそういう思いが支配してきたからこそ、辞める決意をしたのではないのか。
僕は本当に「皆に申し訳ない」と、思っていたのか?

不信の念が根底にあるからこそ、安易にその関係を切断できるのではないのか?

2012年11月10日

難関退職

前職においての、退職までの流れを簡単に記しておきたいと思います。詳しい場面説明は後日、記事にするかもしれません。

《第1段階》
退職予定日の1ヶ月と数日前。
朝、上司と僕以外出勤していない時に、辞意を伝えた。
上司「ゴールデンウィークがあるから、その間もう少し考えてみて。」
との内容を言われ、出直しのような形に。

《第2段階》
ゴールデンウィークが開けて数日(?)経過後の昼休み。
手順がわからないので、一応、辞表を封筒に入れて用意していた。
フロアを出て行こうとする上司を追いかけ、扉の前で伝えた。
「すみません、考えたんですけど…やはり…。」
上司は了解の様子だった。が、辞表を渡すのはちょっと待って、という指示。
なぜ? 率直な感想。

《第3段階》
その翌日(?)夕方に上司から飲みに誘われた。
社内行事以外で飲むのは初めて。
終業後の18時30分頃、近くの焼き鳥居酒屋で小一時間ほど話した。
退職理由の再確認と、引き止め。
というより、上司の話を聞いている時間が9割くらい。
もちろん僕があまり喋らないのが悪い。

《第4段階》
その翌日(?)ついに社長室へ呼ばれた。向かい合って座り、社長の横には役員が一人。
改めて辞意の確認と、引き止め。
社長の話が終わった後、別室にて役員と対面してさらに話があった。
社長、役員とも口調は強く、僕もなかなかはっきり伝えることができなかったため、
その日は「保留」という形で終わってしまう。
役員「それでも辞めると言う時には、私に直接伝えに来るように」とのことで部屋を出た。

《第5段階》
反故にされては困る。翌日朝、突進するような(気持ちで)役員の机に向かった。
「考えは変わりません。」
了承は頂いたが、もう一度僕の上司にも伝えるよう言われた。
(つまり通常の手続きを踏んで下さいということだ。)
しかしその日は、言うタイミング(二人きりになる状況)が得られなかった。

《第6段階》
翌日朝、ようやく辞表を渡した。
ここまで意外とエネルギーを消耗した。

《第7段階》
最終日。
終業前に、菓子箱を抱えて社内を挨拶してまわった。
その日の様子は6月30日の記事「退職日のこと」にも書いています。

2012年11月6日

徒労話

求職日記ばかりなので、
3ヶ月で辞めてしまった前職(チラシ制作)での
情けないエピソードを2つ書いてみます。

~~①「歓迎会」~~
僕が入社する以前に入ったという2,3人分(覚えていない)を合同で歓迎会をして頂いたのだが、開催の数日前に上司から告知があった。
どうやら新入りは一言挨拶をするらしく、さらに「一発芸を用意しておくように」と言われて、巨大なハンマーを上から振り下ろされたかのようなダメージを受けた。

《飲み会》+《芸》 …何もコメントできないほどの拒絶意識は今も変わらない。

なんとか用意だけはと思い、前日の夜に考えた芸が「トイレットペーパー食い」だった。
ペーパーをできるだけ口に押し込み、コップの水か何かで流し込めば芸になるのではないか?
部屋にあったペーパーで試してみた。やはり紙の味がしてまずいものではあるが、腹に流し込んだ後も特に身体上、異変も起こらなかった。
…引く(気色悪がられる)かな?
笑いにするために敢えて咳き込んだりして、無理矢理食らうような大げさなリアクションをしよう、という作戦も考えていた。

当日、ペーパー1個をバッグに入れて出勤。
しかし、歓迎会では一発芸は要求されず、新入り各々が挨拶を述べるだけで済んだ。

新入りの年齢も様々だったので、もしかしたら全員一発芸というノリでもなかったのかもしれない。
…前回の歓迎会のときは、やったのか?
…それとも上司の冗談だったのか?

誰にも確認はしなかった。
聞けば僕が芸を仕込んでた事が明るみに出るだろうから。

…この芸は、いつか機会があった時、使えばいい。


~~②「資料」~~
仕事を持ち帰るのは、掲載情報を発行前に漏らさないという立場からも、その会社としてはあまり勧められていなかったと思う。
僕は仕事の遅さを少しでもカバーしようと、これまた誰にも言わずに密かに持ち帰り、このパソコンで制作していたのだが、
ある時、業者から頂いた1枚の紙資料をスキャナーに挟んだまま、取り忘れて翌日出勤してしまった。
スキャナーで取り込んだ一部の範囲だけはデータ化してあるので、会社で見られるのだが、もし範囲外の内容を業者から確認されたら対応できない。

恐々とした午前を過ごし、昼休憩が始まる丁度12:00にフロアのドアを開けて出る。
いつものミーティングが始まる12:55までに往復して戻ってくるためには、相当急がなければならないことは承知していた。

ここでさらに隠していたことが災いする。
自転車で通っていることを内緒にしていたため、
会社から少し離れた自転車置き場まで肉足(にくそく=自らの脚。モコピッチの造語)で走らなければならなかった。
普通に自転車通勤宣言をし、普通に会社に停めて通っておけばよかったものを。

途中、車や人に迷惑をかける走行をした場面もあり、大変申し訳ないと思っています。

なんとかミーティング開始2分前くらいに駆け込んだ。
といっても、ドアを開けた瞬間からは何事もなかったかのようにふるまう。
50分走りっぱなしだったので体中が熱く、汗の量も尋常ではない。急激な運動で顔が変に見えていやしないか?(例えばまだらだったり)
周囲に息の乱れを悟られないよう気をつけた。

しかし、午後から業者からの電話も無く、結局、資料は無くてもその日は問題無かった。
帰り道、ガクガクの脚の感覚は覚えている。自業自得なんだけど。


………
こういう人物。
今日はもう寝ますね。

2012年10月29日

求職スキル(求職日記)


1社目 卵食品加工工場(正社員) 書類審査で不採用
2社目 広告制作会社(正社員) 書類審査で不採用
3社目 スポーツ衣料プリント(正社員) 面接で不採用
4社目 家具店舗広告制作(契約) 面接で不採用
5社目 フォーム印刷工場(パート) 面接で不採用
6社目 工場(派遣) 面接後、保留
7社目 コンビニ販促物制作(契約) 書類審査で不採用
8社目 広告会社(正社員) 一昨日、書類送付

それほど応募者も多くなかったと思うんだけど5社目…。
振り返る必要があるだろう。

応接ブースに案内されて1,2分遅れで、同年齢?くらいのスーツを着た男と、年上らしき私服の女が続けて現れ、僕の斜向いと隣の椅子に腰掛けた。
『集団面接』!?
一気に体内の潤滑油が酸化したかように硬直し【萎】、
ラップの芯を目に当てて覗いたかのように視野が狭まる【縮】。

だが性格検査・一般常識テスト・小論文が3人同時に行なわれ、面接は1人ずつとのことで最悪の事態は免れた。

とはいえ、緊張感と動揺を引きずる乱れた感覚に支配され、いつもなら書けそうな漢字も思い出せない。手の平の汗で、用紙もやたらと凹凸ができてしまった。

 Q.「尊敬する人」を理由とともに書いて下さい。
 A.特定の尊敬する人はおりません。

…今思い返せば、いたのに。(心から尊敬していないから出なかったのかもしれないが、解答として書ける人物は数人脳内に用意できたはず)。

面接でも3,4社目と同じ心理状態。やる気を見せる(伝える)ことができなかった。
活力に乏しい印象を与えてしまっていると思う。
実際に会社を訪れ、職員達と対面するとこうも弱々しくなってしまうこの不燃感は何なのか…。
社会人として望ましくない本性(履歴書ではうかがい知れない)が性格検査や面接によって炙り出されてしまい、その劣等性の自覚と、結局僕は働くため「だけ」に会社を探している根本指向であったことを現場で自覚してしまうからだろう。

………
現実の光景・雰囲気・言葉に押されてしまわぬようにということなのだろうね。
楽しそうに映る職場なんて、めったに無いわけだ。
たいてい職場というものは黙々としていて、頻繁に鳴る電話の音と、イラつき気味の役員の話し声、または颯爽と歩く革靴音が聞こえている場所なのだ。

自分が予め考えておいた内容を伝える事に徹するべし、ということだろう…。

また、工場内を案内して頂いたが、募集する担当部門では、予想はしていたけど実際ほぼ女性が働いていた。正社員はまた別の部門で、そこでは多くの男性が機械操作などをしていた。面接担当者の挨拶、「まずはじめに、求人票通り(給料)で納得の上での応募なんですよね?」という内容の事を言われ念押しされたことからもわかる。
自ら遠慮すべき求人だったのかもしれない。

………
こうやって応募する毎に、みっともない生き恥を自ら進んで世間に晒していく… 滑稽だね。

また近いうち書きます。

2012年10月14日

社会人初級(求職日記)


1社目 卵食品加工工場(正社員) 書類審査で不採用
2社目 広告制作会社(正社員) 書類審査で不採用
3社目 衣類プリント制作(正社員) 面接で不採用
4社目 家具店舗広告制作(契約) 面接で不採用
5社目 印刷工場(パート) 面接予定
6社目 工場(派遣) 面接後、保留
7社目 店舗販促物制作(契約) 書類審査中

6社目は10人以上の募集。工場が遠いため、僕が移動手段を確保すれば、採用されることになっている。
しかし面接で明かされた、来年○月までという有期契約、そして派遣会社が離れた後、必ず全員が工場の直雇用として残れるわけではないとの内容が僕をためらわせている。
少し興味のある仕事内容だから応募したのだが、これは今の就職活動で採用される倍率と工場社員として残る倍率とあまり変わらなそうだ。下手すれば、就職活動を先延ばしするのと変わらないことになる…。
繁忙期だからだそうだ。恐らく毎年募集しているのだろう。

………
僕がたとえじっくり吟味して応募したからといって、その会社に受け入れられるとは限らず、他の人を選ぶ場合だってあるところが、難しい。当然だけど;。
でもそういった当然の現実理解をこの活動を通して身をもって体感している。それは僕と会社、僕と社会人との距離や接し方を少しずつ学ぶことにもなっている。

例えば書類の返事がしばらく来なかったのも、それは数日〜数週間募集告知をして人数を集めたい会社の意図を読み取る。遅い遅いと独り言ちても仕方がない…。
例えば面接で入った事務所がカップラーメン臭かったのも、昼飯どきだったから当然の事。僕は何くわぬ顔で挨拶をすべきということ。においのこもりそうなテナントビル奥の狭い一室を支店として、外食せず頑張っている社会人に敬意を持つということ…。

…つまりそれは、そんな基本的な事も今まで気付いてこなかったモコピッチのヘッポコさでもあることよ。新卒が就活する21歳くらいには既に身に付けているべき意識や姿勢なのでしょう。

………
もう10月中旬ですか、、。
寝ますね。また書きます。

2012年10月5日

何がしたい(求職日記)


1社目 卵食品加工工場(正社員) 書類審査で不採用
2社目 広告制作会社(正社員) 書類審査で不採用
3社目 衣類プリント制作(正社員) 面接終了
4社目 店舗販促物制作(契約) 面接で不採用
5社目 印刷工場(パート) 書類審査中

まだ、これくらい。…しかし、悲しい。
意志の無さに。社会人として未熟ぶりに。人として幼稚っぷりに。
前回「悲観してない」と書いたが、それは採用に対しての思いだ。
全くどこにも決まらないことは無いだろう、という意味。

いったい僕はどうしたいのか。

4社目の面接は好感触だった。…にもかかわらず。
しかし、内心ほっとした気持ちもあった。
…実はその会社が特に好きでもないからなのだと思う。

自分の弱点がわかっている。そして面接時に全てが露呈する。
思ってしまう…僕みたいな人物が突然入社した時、周囲が感じるであろう違和感を。
それは結局、鏡に映った自分に対して常に抱いている違和感に他ならないのだろう。

正社員になることを、やっぱり恐れている。
黒い恐れの固まりが心の底に落っこちていて、取り除けない。
それは正社員にならないと、取り除けない。

このへんで、寝ますね。

2012年9月21日

求職日記












1社目 卵食品加工工場(正社員) 書類審査で不採用
2社目 広告制作会社(正社員) 返答無し、不採用か
3社目 衣類プリント制作(正社員) 書類審査中…?
4社目 店舗販促物制作(契約) 書類審査中

広告制作系で応募している。…どうだろう。かろうじて未経験じゃないから。
業種の希望も叶わない可能性も充分ある。
広告制作系の求人件数は少なく、新着もなかなか無い。
その数以上に、他応募者の存在があるわけだから。
…それに僕の汚い履歴書。自業自得だね。
応募できる求人が無くなったら、他業種しかない。

悲観はしていない。簡単に考えているつもりじゃないけど。
わたしのような年だけとった未熟者を採用する会社はあるのかどうか。

ウォーキングを7月下旬から始めて、2ヶ月間続いている。無職中のメインニュースはこれくらいだ。
プールに行った日や、天気の悪い日などは休み、それ以外の日は30分くらい歩いている。
運動の後のごはんもおいしい。

こんな現在も自分が過去に道を選択してきた結果。

深夜です。もう寝ますね。

2012年9月12日

まだ求職中










1社目 卵食品加工工場(正社員) 書類審査で不採用
2社目 広告制作会社(正社員) 書類審査中

丁度3ヶ月前に辞めて、まだ2社しか受けてないのかという印象を持つかもしれない。

…その通りだね。
それ程に僕は鈍重で優柔不断な人物であることがよくわかる。

そして、2社が異業種。

就職活動を通し、自分の意志や決断について
「自分への信頼度」が如実に薄れてしまっていることを思う。
「当時の強い意志」が時間が経つとすぐに揺らぎ、変わる。
昔からの振る舞いを振り返ると元来モコピッチはそんな奴であり、その事に今まで気付かなかったのだろう。
軽薄。意志なんて強くもない。

原因として「遠い先の目標が定まっていないから、現在の決断もぶれてしまう」と挙げてみるけれども、果たして遠い目標を「強い意志」でもって設定したところで、自分への疑念が湧いている今、それも脆い物であるに違いないだろう。


ただ、どこに決まったとしても、前回書いた神経症・対人恐怖症についてのとあるブログを携えることで、前職よりは続けられる…と思うけどね。

2012年8月12日

メンテナンス終了のお知らせ












木曜日に、押し入れにあったフィルムカメラをハードオフへ売りに行った。10年程前に約7万円で買ったものが1100円也…。
仕方ないのかもしれない。

無印の衣装ケースの数を減らしたりと、部屋の整理も少しずつだけど進めている。
A3サイズまでいけるプリンターも使わないし、古くなっているので処分した。プリントする機会があった時は、近くのビニコンで賄う。(データ持ち込みで印刷できる。)

なるべく身軽にして荷物を減らし、より家賃の安い場所に引っ越したい。
当面の目標だ。


カメラを売った帰りに、チキンクリスプとアイスコーヒーを食べようと、マクドナルドへ立ち寄った。
注文する前にトイレに入ったのだが、手を洗った後に見上げた鏡の自分の姿が嫌になり、出てきてしまった。
こんな奴が注文するなんて、店員に不快な印象を与えてしまうだろう、と思ってしまったから。

まあいい、それほどチキンクリスプに執着していなかったのかもしれない。対面販売に伴う人件費を含めた商品代金を目の前の店員に払うほどの余裕は無い、などとヘリクツをこねながら、ローソンで缶のアイスコーヒーだけ買って帰った。

………

そして前回からの記事に続けると、このようなサマツな近況報告をする事で、
「モコピッチのメンテナンス」が明けたことにしたいと思う。

【きっかけを、得た】(と信じたい)

対人恐怖症に関するとあるブログを発見し、それを信じてみようと思った。
組織人としての適性を備えることが人生の目的ではない、ということ。
例え適性が備わったとして、その性質でもって「何をするか」が本来の目的だ、ということ。
目的を見失わずに行動していくことで、その人間関係問題の自分の中での取り扱いがだんだん小さくなっていくのだ、ということ。

生きて行くことは大変ン。でもやるしかなナイ…。
カビだらけの浴室と、水アカだらけのシンクもきれいにしたことだしね;

2012年7月6日

組織人












「利益を上げるために一丸となって…。常にそう思い続ける事だ。」
社長の訓示。
毎日、部署ごとに朝礼はあったのだが、月に1度、全社員が1フロアに集まる全体朝礼があった。

身が引き締まる思い…否、モコピッチの場合は身震いする程の禁固刑を科されてしまったことを認識した瞬間だった。
社長の脳を持った「法人」の体の一部となり、会社の利益に繋がるような思考と振る舞いを自主的にしなければならないということだ。

「問題解決」というテーマでモコピッチがすべきと思われる振る舞いを挙げてみる。

●自主的に問題を発見する意識を持ち続けること。常日頃、関係する情報・知識の収集やスキルアップに努め、問題解決能力を高めていくこと。
●発見次第速やかに解決にあたり、解決方法が自分一人の能力を超える場合は、他の社員や上司に相談し、丁重に協力を仰ぐこと。時に、自身の交友関係を駆使する等して、なりふりかまわず方法を探ること。また、自分一人で編み出した解決方法であっても、それが最適であるとは限らない。不安があれば周囲に確認やアドバイスを得ること。
●問題処理中の進捗状況を周囲と確認や報告をしながら進めること。実作業人数が複数であれば、周囲の状況を自主的に常に把握しておくこと。
●自分の担当作業が終われば関係社員へ報告し、他の社員が作業中であれば手伝うこと。時に、他の社員の作業を優先し、自分の作業を後回しにすべき場合もある。
●解決を外部へ委託する場合は、費用と効果のバランスを考慮し最適な委託先を選定し、委託先との最初の関わりから工程管理、支払いまでを自身が窓口となり円滑にコーディネートすること。
●問題解決後、その処理方法やプロセスは適当であったか、今後同様の問題が起こり得る可能性とそのための準備等を話し合うこと。同時に、一連のプロセスの中で共有すべき内容や要点、注意点等を整理してまとめ、書類や文面に残し、関係社員にその重要度と共に確実に伝達しておくこと。
●問題提起者/問題解決提案者は責任者として解決される最後までを見届けること。終始、常にその問題に関わっている姿勢を見せなければならない。
●問題解決が第一目的であり全てである。そのための時間が考慮されることはないので、自身の通常担当業務と兼務することになる。それへの影響も計算しておくこと。
●以上、問題解決のプロセスの中で関わる人達に対し、内外問わず報告・連絡(事前/事後)し、効率的で余分な負担(肉体的/精神的)を増やさない運営となるよう努めること。
●以上を最短時間且つ全力で行うことに努めること。
●落としどころという言葉がある。完全解決とは言えないが、問題点と我が社の能力との妥協点を定め、そこをひとまず結論として一旦区切りを付ける。今後も注視していくものや、徐々に時間をかけて解決していくべき内容であれば、風化させずに今後長期的な情報と意識と行動の共有を関係社員に継続させるよう努めること。

~~
長くなったけど、実際は組織の一員として、特別な事ではなく普段しているような動きになると思う。

ぼくは理想形を並べることはできるが、人への恐れが中心に存在しているため、人との関わりに関する行動(上記項目のほぼ全てに共通する)になると、すぐに行動(発話)に移すことができない(または行動しない)。例えば問題を発見したのにもかかわらず提起できなかったとすると、その問題は他の社員が気付くまで放置されることになる。=時間の浪費(減益)。

今後も起きる数々の困難を乗り越えてやろうという前向きな意気込みを持続させることや、現実にできないことによる悩みを抱えながらも、耐え続けるという試練から逃げたために、組織人としての能力を備える機会を自ら潰したということだ。

同種の困難さとの出会いは、今回の会社だけではもちろんなかったのだが、そういった場面の記憶は奥へ押しやって封じ込めてきていた。弱い自分を肯定したくない、克服したいという精神からの意識操作だったのだと思う。「できるはずだ」と思っていた。

~~
ここで今、記事を入力している人物が、
【組織人として不適格な精神と肉体の持主である】
ということを早くから認めることが必要だったのではないだろうか。自分の弱さを直視しようとせず、正しく理解しようとしていなかったため、負け戦と知らずに挑んだ…。

しかしそれに対して、短期間で会社を辞めた人間をごくふつうに捉えれば
【諦めの姿勢を取り、挑戦することを止めた自分に甘い人物】
という客観的印象になっても間違いないし、その自覚もある…。

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
〔モコピッチは、ただ今システムメンテナンス中です〕
2012年6月12日(火)〜未定
「サービスをご利用中のお客様は…  いないか;
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .

また書きます。

2012年6月30日

退職日のこと










退職日は、1週間の中で最も忙しい曜日=情報誌の制作データ締め切り日でもあり、慌ただしく過ぎていった。当たり前だけど、みんなは普段と変わらず働いていて、自分だけ緊張していた。

~~
その会社に働き出してからの習慣として、月〜土曜は出発する最低2時間以上前には起床し、牛乳+インスタントコーヒー+クリープ+砂糖 で作ったカフェオレを飲んでいた。そうすることで、たいてい2時間後くらいに便意を催せる。…会社で大便をしたくないから。
緊張もあり、その日の朝便は液体に近かったが、出すべきものを出したので便問題は解決したつもりで出勤した…。

そして午前中のこと。小便のためにトイレに行き便器の前に立ったところ、何かの拍子で尻の力が緩み、ガスのひと噴かしと共に少し漏れ出てきてしまった。
〝ハッ〟
そのまま大便室へ移動して目視確認すると、パンツに楕円形のシミ。
ペーパーで叩いたり挟んだりして処理し、席に戻ることができたが、臭いが他の人達に伝わっていないか心配だった。シミは完全に取れていないため、その上から履いた綿パンを通過して時折臭ってきた…ような気がずっとしていたので、誰かは異変に気付いていたのかもしれない。
…イタチの最後っ屁だったのかな、なんてね;。
失礼しました。

~~
迷ったけど、休日にお菓子も買って用意していた。梅や金柑の実が入った、重量感のある和菓子まんじゅう。
早めに出勤し、保管場所を確保。給湯室にある、コンセントが抜けていて使われてない冷蔵庫の中。ここなら誰にも開けられることはないだろう。

終業時間の30分前。他部署の社員へ挨拶してまわる時間を考えると、もう限界リミット(と、自分で決めていた)。しかし仕事は真っ最中で全く終わっていない。さらに「そろそろモコピッチが動く頃なのでは」とみんなが平然とした顔をしながら思っている…と思うと固まってしまい、挨拶もやめてこのまま終業まで突っ走ろうとも思ったけど、最後の義務仕事だと思って席を立った。(もうやけくそ。ズタズタになる覚悟だ。)
冷蔵庫の扉を開けると、お菓子が何だか温まっていた。
(?)
オフィス内の冷房の空気が一切遮断された上に、窓から差す日光で暖められた冷蔵庫の熱が内部に閉じ込められ、保温庫の役割を果たしていたのだろう…。
大丈夫か? 腐敗の心配をしながらも、配った。(最後までうまくいかない。)
数個余り、持ち帰ったものを食べてみたが、ぬるかったというのもあるけど、味もあまりおいしくなかった。
迷惑なことをしたと思っている;。

~~
翌日に印刷へ出すため、データが完成するまで制作部5人全員で残業し、22時頃に終了。他部署の人達はとっくに帰っている。終礼でようやくリーダーからモコピッチの退職について触れ、解散。
帰る支度をするなかで、制作部用として別に用意していたお菓子(もなか)を渡しながら、挨拶をした。
「お世話になりました。有り難うございました。(そして、後任も決まらないままで、皆さんに負担が掛かることになり本当に申し訳ございません。)」

予想はしていたけど、送別会はなかった。でも内心、その方を望んでいた。「開いてほしくない」というのもとても傲慢でひどいと思うけど、わたしにとっては短期間で辞める大きな理由でもあった。

…また後日書きます。

2012年6月13日

無くした












0(無)職。
ようやくブログを書ける心理的時間が持てた…のかもしれない。(物理的時間は今までたくさんあったはずだ。)


前回の投稿が4ヶ月半前の1月末。

『働かなきゃな…』


ハローワークに通い、3社目くらい?の応募で広告会社に採用されたのが3月上旬のこと。規模20人くらい。

猛緊張の初出勤日。面接官との再会(あ、この人…)。
勤務中の社員へ紹介される。(皆さん立ち上がらなくてもいいよ;)
…挨拶「本日入社しました「モ」「コ」「ピ」「ッ」「チ」(聞き取りにくい発音にならないように)と申します…よろしくお願いします。」
昼飯は先輩達と近くのラーメン店で。


“4年は頑張ろう”(決意)


…そして一昨日。3ヶ月間の試用期間(契約社員)を経て、翌日から正社員となれるその日を、モコピッチは最後の出勤日としてしまった。

こうしてハトピッチの絵を描いたのも久しぶり…少なくとも勤務期間中は何も描いていなかった。(このBloggerの下書き画面も、いつの間にやら仕様が変わり、書きやすく見やすくなっているという;)

… ,.

毎週発行されるチラシ(数ページの情報誌)のレイアウト、印刷データ作り。希望していたグラフィックデザインの仕事。忙しかったり仕事量に波があるのも覚悟していたし、実際その通りだった。退職理由の上位には挙がらない。

“試用期間だから”。…その制度を利用した一面もある。ちょうど3ヶ月間だったのはそのためだ。

【チームワーク】【報連相】【協力】【コミュニケーション】【付き合い】【一致団結】…=それが組織で働くということ。
日々、それに関する出来事や問題に直面する度に前向きな気持ちがガンガン削り取られ、
…はや4月下旬頃からよぎり始めた。
《やっぱり、人怖い》 ne  ga  ti  ve

デザインに関する仕事を、などという私的嗜好よりもっと大きな問題を前に、
おじ怖じおず怖気おじけづいてしまった。


逃げたんだ。
そしてもう諦めてる。

このことに関して、また投稿します。今回はここらで。

2012年1月25日

進路2









前回記事が11月28日。約2ヶ月更新していなかった。
その後の経過を述べると、
11月末にて、半年契約だったパトロールの仕事が終わった。
1月から始まる職業訓練に応募し、12月が1ヶ月間空いてしまうので運送会社の短期バイトをすることに。
ところが、職業訓練は12月中旬に行なわれた選考で落ちた。
運送会社のバイトは無事終えることができ、無職に。
共に2011年も離れていった…。
明けて、現在1月25日。
それまで何をしていたかというと、以前所属していた職場のツテ等で、広告物のデータ作りの仕事をしていた。それが一段落したので、こうやってパチ込んで(=パソコンでパチパチ打ち込んで)いるという次第だ。

さつまあげを乗せたうどんがほぼ毎日の昼飯。
アパートに引きこもった大人がここに潜んでいる…(ヒドいな;)。

職業訓練について。
応募したのは電気科。資格を取り、建築現場で働こうと思っていた。求人も比較的、多い。その証拠だと思うが、倍率も全コースの中で一番高く、約2倍とのことだった。
筆記試験は全コース共通の内容で、基礎的な漢字・計算・IQテストのような問題だった。
筆記試験の点数より面接を重視するので「ぜひ面接の時はやる気を見せて下さい」と訓練センターの職員は説明していたのだが、
終了直後、いやもう途中からモコピッチが不合格をはっきり自覚した、その面接の場面でのふるまいを記しておきたい。

(記憶を基にした概要です)

《面接官》「(事前に提出した簡単な履歴書のような資料を見ながら)…言っちゃ悪いが職をよく変えているようですね。それぞれ辞めた理由を聞いていいですか」
《モコ》「〜は契約満了で…。」「〜は職場が遠かったので…。」「〜は会社の組織が変わってしまったので…。」
《面接官》「広告業界は厳しいので諦め、畑違いの建築へと」
《モコ》「はい…資格を取って…」
《面接官》「電気工事の現場も大変ですよ。早朝から深夜まで働く時もある。」
《モコ》「はい…」
《面接官》「正直、まだ迷っているんじゃないのかな?たぶん君はこの訓練を受けながら『これはちょっと違うんではないか』と思って、また辞めるのではないだろうか。」
《モコ》「(そうなのかもしれない)…それほど強い意志を持っているわけではないと思います…(でも…)」
《面接官》「他の人達と感じるものが違うんだよね」
《モコ》「…(クォ、『やる気が感じられない』の婉曲表現だ)」
《面接官》「求人が少ないといっても、印刷会社とかはあるのでは?こういう(試験の)場で言うのもあれだけど、諦めるのはまだ早いと思うよ」
《モコ》「…」

私は何なんだ。
帰りにローソンに立ち寄り(自転車)、軒下でホットココアを飲み干した。
何て弱い人間なんだ。
「あーあ」の地声と溜め息を、こぎながら向かい風に何度かぶつけて紛らわせた。

前回記事にある「霧のような未来像」と同じく、私が描く計画なんてものは、まるでトランプの塔のように脆い。
あの時は進路変更を決意していたはずなのに。

そんなこんな迷っていても、貯金はみるみる減ってゆく。
(働くしかないよな、とにかく)