2012年11月19日

一般「変人論」

「辞めれば今後、変人として生きることになる」

前々回での記事でいうと《第4段階》、
社長室で言われた言葉だ。

例えば子供の頃、周囲から「変わった人」などと言われ、魅力的なキャラクターだった人が、やがて社会に出ていく。
ある者は活躍の場を拡げていき、ある者は適応できずにレールを外れてしまう…。
二者の違いは、コミュニケーション技術・協調性が備わっているか、備わっていないか。

「変人」という単語が、社会的には必ずしも好意的に用いられていないのだ。

このような話は、多くの社会人が実感したり見聞きしていることだと思う。
「多くの」といっても、なんとなく僕の想像だけど。

「変わっている、人と同じでないことは良いこと」
それは社会人として機能する限りにおいての話。「個性を発揮している人」としてポジチブな印象になる。
しかし、何ら社会にメリットを与えなければ、
「理解不能な人」「近寄り難い人」「スルーしたほうがいい人」などとネガチブな印象でもって扱われる。

社長が僕に対して使った「変人」とは、そのネガチブな意味のことだろう。

コミュニケーションできない人は、できる人達(普通の人)から見た時に、しばしば「変な」振る舞いをするために、不本意ながら「変人」と呼ばれてしまう、と僕は解釈する。

例えば、オフィス勤務中に休憩(外の空気を吸いに外に出ること)もせず、菓子も食わずに黙って仕事を続けている様子を、傍から見たらどう思うだろうか…。奇妙に思うのでは。不気味なほどスタミナのある、クソ真面目な人物だと思うのではないだろうか。
実際は違う。休憩できないほど忙しいのでもなく、「休憩行ってきます」と言えないだけなのだ。周囲が静かに仕事をしている中で菓子を食べることが恥ずかしいからだ。本当は、みんなと同じように振る舞いたいと思っている。…


僕は「変な人」「おもしろい人」、そう言われた経験は今までに何度かある。哀れなことにこの論理を知る1年程前までは、その言葉を好意的に捉えていた。

変人じゃない。僕は、社会人として未熟なだけだ。

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