2014年5月1日

ソウル旅行(外国語)










前回に続いての投稿です。

出発の2日前になってようやく、韓国語勉強のためのサイトを探し始めた。
ガイドブックは買わず、ネットから使えそうなページをプリントアウトして持って行くことで、安く済ませようと考えていた。
前日の夜、PDF化したデータをUSBスティックに移し、いつものコンビニへ。コピー機を操作しようとしてふと目にとまったのが、ハングル表記だった。
韓国の言葉に触れたのは現地においてではなく、身近な地元。今まで視界に入っていながら無意識に日本語だけを選択し、知らない言語を読み飛ばしてきたかがわかる。
これは言語に限らず、職業病と呼ばれる特有の視点も、同種のものだろう。

鹿児島から福岡まで高速バスで行き、福岡空港から飛行機に乗ったのだが、結局自分で調べてプリントアウトした紙だけでは不安になり、ポケットサイズの『とっさの言いまわし 日常韓国語会話辞典』を博多駅ビルの紀伊国屋で買ってしまった。


言語について、福岡に戻ってきた時の驚きもまた、全く予想してなかったものだった。
丸3日ほどソウルでハングルと英語表記を見続けてきたため、福岡空港や地下鉄の案内・広告を目にした時、漢字が中国語にように見え、カタカナやひらがなを漢字の横に組み合わせて並べてあることの奇妙さや複雑さといったような、いつもとは違う印象を持った。
高速道路を降りる時のスピードの錯覚のように、または一度外に出てから自分の部屋に入った時の外との温度や臭いの差に気づくように、これは誰にでも起きる現象だと思う。

日本国内では日本語堪能な人々向けに、文字がレイアウトされていたという当たり前のことに気づく。そして漢字やひらがな、カタカナの大きさやバランス、フォントの選択など、これで良し(または不適当)と判断する自分の感覚も実は不明瞭なものであるし、大きく拠り所とするものでもないのだなと思った。

また書こうと思います。