2011年11月28日

進路









今月いっぱいでパトロールの仕事の契約が切れる。
10月からハローワークに通い、応募も数件してきたが
結局出た一つの道…。

先日、職業訓練を申し込んできた。
定員があり、12月に選考の試験がある。訓練は1月から6月。
希望するコースは未経験分野。(選考結果が出たらこのブログに書こう)
訓練後の就職もその分野でできればと思っている。

職業訓練というシステムがあることは数年前から知っていたが、
申し込むきっかけは、今の職場の随分年上の先輩が「資格を取る等して早めに手を打っておいた方が良い。年を取ればどんどん職が無くなる。」という内容の事をアドバイスしてくれたことだ。

「ふぅ…」
申し込んだのはいいけど、またもや短絡的だなぁ自分、との感想。

変わらない …変わらなかった …昔から自分は ほとんど変わっていなかったんだ。
学生の時の進路選択・決断からはじまり、社会人になり就退職を繰り返し、その度に仕事の選択を迫られるタイミングまで。ずっと。

何ら求める職業やこうありたいという「強い」欲望を持つことができずに、適当に仕事を選んできたこと。
「脆弱な欲望と希望、霧のような薄ぅい未来像」を頭に投影しながら生きてきた感じ。
…頼れるインナー支柱無し。軸無し。
ただ食物を定期的に仕入れることによってのみ、曲がりなりにも社会的人間を続けてきただけのような。
…平和ボケというのか。

未来を具体的に想像、想定する力に欠けているのだろう。
学生時、親に食料や金銭的援助をもらっていた状況であっても、
やがて訪れる、その中で生存してくための「社会というもの」を直視して考えようとしなかった自分が100%悪い。
こんな性質はすぐに抜けきれず、今も少なからず備えているはず。
将来の現実に対してしっかりと把握しようとせず、危機意識も薄いということだ。

モコピッチは今まで正社員、契約社員、アルバイトいずれも短期間で辞めてしまっている(最長2年)のだが、お粗末な進路計画が根本原因または遠因となっているに違いない。
「したいと思える職業を見つけるまで職業について真剣に見て来なかった」
という、初発からダメな行動が原因で、ダメな結果になる可能性を自ら高めていたことに、これまた今気付いた。

この職業訓練にしても、それほど真剣に考えて決めたことではない。
…とはいえ、いい加減だったとも言えないんだけど、振り返るとまだまだ多くの職業を見て検討しても良かっただろうと思う。

「世の中で、強い決意を持って職業選択をした人の割合はどれくらいですか?」
と問いたい気分だ。

2011年11月3日

プール









たまに市営プールで泳いでいる。

長時間、車での座り姿勢のバイトで体が凝ったり、
ハローワーク通い等でストレスらしきものも溜まっている時や、
体がなまっているなと感じる時。

マラソンやサッカーなど、陸上でやるスポーツを全くしないから、代わりに水泳をしている。
自転車で約25分かけて通う。
交通費がもったいないのもあるけど。

100mを区切りにして主にクロールと平泳ぎをゆっくり、または速く、合計1000m~1300mくらい。
水の抵抗を受けぬよう真っ直ぐに伸びるフォーム動作により、
体全体の筋肉がストレッチされる。
より遠くの水をつかもうとクロールでは片手、平泳ぎでは両手をグッと先へ伸ばす。

コースに自分1人だけの場合は、無心状態を味わうチャンス。
右側通行、追いつき、追いつかれ、衝突を気にする必要もない。
何も考えずに体だけを動かすことで、通常の意識状態とは異なる、
暗い空間にただ一人丸まっているような集中しているような感じ。

プール上がりたてはぐったり、フラフラ、頭ももうろうとしてよろしくない。
重力で体も重い。
座り込みたい気分の中お湯シャワーを浴び、なるべく早く着替える。
早く更衣室を出たいから。

お腹が減っているので、帰りはドラッグストアに立ち寄り、カロリーメイトとグレープジュースで急場の栄養補給をするのがお決まり。
そして夕飯は肉を取り入れたくなる。

2011年10月29日

コミュニケーション力









27日、正社員になるために
面接を受けてきた。主に道路等の公共事業の測量・設計の下請けらしい。全くの未経験だが、研修があるということで応募してみた。

約30分間の面接で、自分の問題点が浮き彫りになったと強く思った。面接官である社長も、見抜いてその点を確認したり、やんわりと指摘していたのかもしれない。時間が経つにつれ、次第にやる気が下降ラインを描く=テンションが下がっていくのを感じた。その変化が外に現れないようにしたけど。

それは、モコピッチが今まで人との関わりを避けてきた人生、振る舞いが会社に不利益となるだけでなく、いち社会人として在るための根本的な問題なんだということ。
周囲の人達と相談しながら問題を解決していくのが、チームワークである。より高度で高額な仕事であればあるほど、一人だけの力では達成不可能であるだろう。

普段、一人ずっと部屋で過ごしているようなヒキコモリッチに果たして務まるのか。

コミュニケーション能力・技術。
これって、その人の個性・性格・仕事の向き不向き以前に、社会人として備えていなければならない力だったのだ。社会ステージの中で、劇団会社の中の、ある役割を持ったキャラを作り演じること。
働く時(ON)と、仕事を離れた時(OFF)で態度がガラリ違う人もいると思うが、そういう忍術をモコピッチは身につけることができるだろうか。

正社員を目指す前に、社会構成員である条件(=コミュニケーション力)を認識していなかったこと=モコピッチがずっと昔からその素質を備えていなかったことに気付かされたことがその日のハイライト、というより最暗部。

結果:不採用通知が郵送されてきた(10/29)。

2011年5月3日

『天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」』アラン・カルデック(著), 浅岡 夢二(訳)









昔買って読まずにいたのでね…。

まず、書名「天国と地獄」についてだけれど、あの世の風景の描写というより、心理的な表現として描かれてあるのかなと感じました。
そして「霊とか死後の世界は存在するの?」という疑問がモコピッチにはあったのだけど、
読み進めていくと、それを信じる・信じないは置いといてもいいんじゃないか、と次第に思い始めました。
たとえ読者が無神論者だとしても、自分の人生について反省したり、これからどう生きるかを考えさせてくれる素材を提供してくれている本なのではと思いました。(そして訳者も、あとがきにそのような意味のことを書いていると思います。)

この本の7割くらいが交霊儀式の記録、実例紹介を占めています。
交霊とは、著者が霊と親和性のある「霊媒」と呼ばれる同志の体に霊を呼び込みます。(その時霊媒となった人の意識は、催眠状態のようになっているのでしょう。)
そして今の心境や現世へのメッセージ、生きていた頃の話などを、霊媒を使って筆記させたり、または話させたりします。

霊界についてわたしの拙い解釈だと…

・神・霊・魂は物質ではない。
・人間は肉体と魂で構成されていて、死後に分離する。(肉体は消滅し、魂は消滅せず霊界に行く)
・現世で生まれ変わってもう一度人間として生きたり、霊界でしばらく生活したり…を何度も繰り返す(転成輪廻)。
・善い行い、善い心でいることでレベルアップをしていき、最終的に天使になることが目的。
・…このような魂のシステムおよび宇宙・地球世界の全てを全能の「神」が作った。

なので、今の人間の形をした80数年の人生とは、この壮大な構造の一時期に当たるのだ、と…。

霊の存在については、読後でもどうなのかな〜?という思いなのですが、
霊達が表現している世界の描写が、人間の心の状態に置き換えて見えてきて、
例えば
・悪い事をすればその罪悪感が一生ついてまわるし、(悔い改めなければ、それは死後も変わらず恐怖に襲われるという)
・不平を言わず人のために生きられる人は幸福であり、(そういう人は死後、光と愛に満ちた世界へ速攻で到達するらしい)

生前も死後も同じなんだという仕組み。
その点で魂のルールは全く公平なんだということ。
私利私欲に生き、ツケを後代に回しておさらばするような逃げは絶対にできないということ。

考え・信仰により人それぞれ真理は違うでしょうが、
少なくともこの世で生命ある人類は共通して、心の仕組みはみんな同じなのかな。

「おてんと様が見ている」という言葉があるけど。
…ちゃんとやんなきゃなー と思った;。

(出版社名に抵抗を持たれるかもしれませんが、内容はその宗教を勧めるものでは全く無いです)

2011年5月2日

アルバム『air』 / ephemera エファメラ


ノルウェーの3人組バンド、エファメラ。
この『air』(2003年)というアルバムは数年前から持っていて、
英語の勉強も兼ねてじっくり聴いてみることにしました。
上の動画は気に入った曲を選んでみましたが、このアルバムには入っていません。
短めのだいたい3分くらいのが12曲+日本向けにスピッツ『ロビンソン』のカバーが1曲。

歌声が…ささやくようにしっとりとつぶやくような感じ…?
3人とも楽器もボーカルもやるようで、彼女らのか弱さのあるハモリ方がイイと思います。
恋愛や生きていく中での女性の気持ちや思考の揺れ動き、性格が、曲それぞれに特徴的な詩で描かれてあるように読めました。
といっても英語はおろか女心にも疎いモコピッチのオツム内ですけどね。

その中でシングルにもなっている1曲目
“GIRLS KEEP SECRETS IN THE STRANGEST WAYS”
「女の子は不思議なやり方で秘密を守る」

この歌詞の内容はよくわからないままです。
…女性にはそれがなんとなく理解できるのでしょうか?
わからなくて当然、それが男にわかったら「不思議」の意味がないのかな?
「女って、そういうものよ」と軽快なメロディに乗せてガール万歳!というメッセージなのかなと解釈しています。

ネットで見たところ最近の活動が書かれてないので、今何しているのか気になります。

2011年4月18日

人の動物的な面

散歩でよく行く公園に10匹くらい?の猫が住みついている。
いつもは近づくとすぐ逃げ出す猫達が、パンをあげようと袋を開けたとたん集まってきて、取り囲まれた状況に何だか恥ずかしくなった…。

ガサガサ音→エサとなるフラグを、経験を通してインプットされているのだろう。手の平を返すような、わかり易過ぎるこのふるまい…人間にも当てはまるだろうと思った。

例えば目の前の利益にすぐ態度を変える人に出会っても、その人間性を疑ったり否定することはできないだろうし、またそんな感情を持った場合、それはその人が嫌いなだけなんじゃないかということ。
他の例を挙げると、「一生続けるぜ」と豪語してたラッパーが数年後に引退してたり…。他人から見たら同じヒトの形をした人物、自身も同様に昔のオレは今のオレと同一人物の自覚があるはずだけど、考えや思いは時間と共に変わってしまう。それを非難したところでどうしようもない…『にんげんだもの』。

自分の動物性を知りたい、となかなか思いづらいし、それは自然すぎて意識上におそらく現れにくい。他人の性質に気付いても、自分自身では性質が見えにくく気付かない…そんな構造によって取り返しのつかない事態になってしまったことも、歴史の中で何度もあったのではないか。

人間の性質について人間であるモコピッチが述べているのは不正確…と思うが、神様の意見を頂けるわけでもないので仕方ないよね。

そういうことに意識的になってみよう、考えてみるのもよいだろう…という感じ。

因みに写真の猫は、目を合わせると体を寄せてくる、モコピッチと仲良しのヤツだ。

…と、有っても無くてもどうでもいいようなモコピッチの思考よりも、
今日明日の生活、数日後の住まいや仕事への不安の中で、精一杯生きていらっしゃる被災された方々に、具体的ないいことが訪れることを心から願っています。

2011年4月14日

アニメや漫画とかに震災は影響するの?

先日(2011/04/11)東浩紀という人が、深夜にustreamで生配信していたのを偶然見た。新しく引越したというオフィスで仕事スタッフ?と3人で酒を飲みながら歓談していた。

・放送のページ
(2011/4/14現在、アーカイブがあります。4時間超ですが飛ばしながらでも把握できると思います。)

いくつか印象に残った発言があった。
その中で、例えばアニメや漫画などのコンテンツと、それに対する批評のしかたに大きな変化が震災後にあるだろう…という意味のことを言っていた(素人解釈)。

思想界や言論界があるのかもモコピッチはよく知らないけれど、その本流・中心に震災が立ちはだかるように支配するものかどうか?またはゲームや漫画のキャラやストーリーにその要素を意図的に関係付けたり、そうでなくとも無意識的に反映されてしまったりするの?そしてその時、その程度・強弱・割合はどれくらい?
…という疑問を持った。

モコピッチの住まいは九州であり、心理的衝撃の程度は関東・東北の方々より申し訳ないけどはるかに少ないはず。実被害もなく、原発から放射性物質飛散の恐怖がほぼ無いからそう思う。
なので、
「東日本大震災を関連させて取り扱った仕事・論文やについて、読者側の感想・主張の相違が住む地域によって大きく影響されるのでは」と思った。
もちろん各々の性格や経歴等を無視できるものではないけど。

などと書いている途中で今日のニュース「山田洋次最新作『東京家族』の制作を翌年に延期」を発見。
この作品は、モロ現代の東京が舞台のようだから当然、様子見という判断になったのだろう。
当の現場から離れた地方で、映像だけを見て知った気になっているモコピッチでも、わかる。わかってるつもりだよ。作り手の気持ち。

そういう変化を今後モコピッチが追っかけていけるかは保証はないけど、気になるとこだな。
自分自身のふるまいや思考についても。
また続きが書けたら投稿します。

という、吹けば飛ぶような個人的疑問はさておき、

現地で精一杯働かれている方々や、被災された方々の体調が崩れぬよう願っています。
ほんとうにおつかれさまです。

2011年4月10日

ニートになって夜思う

久しぶりの更新。







長らく生きてきたもんだ、とぼんやり立ち止まる夜のひととき。
歳を取るのが早いと感じるのは(月日が流れるのが早いのは)、仕事の時間を人生の中にカウントできていないからだと思う。
仕事している最中、わたしは生きていたと呼べるのだろうか…


平日の昼間に、初めて近くの公園に行ってみると写真のようなお花見スポットだった。天気もいいしベストタイミング。さすがに人は少なかったけど、主婦どうし+こどもグループ、ヤンキー風グループ、中年のカップルなどが楽しんでいる様子だった。邪魔にならないようにひとり散歩した…。
(働いてないからって、引け目を感じる事はないさ)
(目の前の桜と景色を、思いっきり楽しんでいいんだよ)


みんな偉いね。
毎日8時間も、毎週5日も、なぜ働き続けることができるんだい?
なぜ辞めないんだい?
なぜ、朗らかでいられるんだい?

スーパーで目に留まった、
少女が着ていたTシャツの背中に大きく筆文字
『覇気』

と戯言を記してきたけど、
こんな我利モコピッチの事よりも
大地震と大津波の被害に遭われている方、加えて原発大事故により避難していらっしゃる方々の生活が少しでも良くなる事を優先させるべきなんだよ。