2011年4月18日

人の動物的な面

散歩でよく行く公園に10匹くらい?の猫が住みついている。
いつもは近づくとすぐ逃げ出す猫達が、パンをあげようと袋を開けたとたん集まってきて、取り囲まれた状況に何だか恥ずかしくなった…。

ガサガサ音→エサとなるフラグを、経験を通してインプットされているのだろう。手の平を返すような、わかり易過ぎるこのふるまい…人間にも当てはまるだろうと思った。

例えば目の前の利益にすぐ態度を変える人に出会っても、その人間性を疑ったり否定することはできないだろうし、またそんな感情を持った場合、それはその人が嫌いなだけなんじゃないかということ。
他の例を挙げると、「一生続けるぜ」と豪語してたラッパーが数年後に引退してたり…。他人から見たら同じヒトの形をした人物、自身も同様に昔のオレは今のオレと同一人物の自覚があるはずだけど、考えや思いは時間と共に変わってしまう。それを非難したところでどうしようもない…『にんげんだもの』。

自分の動物性を知りたい、となかなか思いづらいし、それは自然すぎて意識上におそらく現れにくい。他人の性質に気付いても、自分自身では性質が見えにくく気付かない…そんな構造によって取り返しのつかない事態になってしまったことも、歴史の中で何度もあったのではないか。

人間の性質について人間であるモコピッチが述べているのは不正確…と思うが、神様の意見を頂けるわけでもないので仕方ないよね。

そういうことに意識的になってみよう、考えてみるのもよいだろう…という感じ。

因みに写真の猫は、目を合わせると体を寄せてくる、モコピッチと仲良しのヤツだ。

…と、有っても無くてもどうでもいいようなモコピッチの思考よりも、
今日明日の生活、数日後の住まいや仕事への不安の中で、精一杯生きていらっしゃる被災された方々に、具体的ないいことが訪れることを心から願っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿