
2010年11月19日
前回からの食メニュー変化

2010年11月6日
運動後の胸の痛み

2010年10月31日
更新

2010年9月28日
部屋の片付けを始めた

2010年9月16日
コンペに落ちた

2010年8月26日
リーフレットAの記録(その5)

2010年8月20日
リーフレットAの記録(その4)

2010年8月11日
リーフレットAの記録(その3)

2010年8月9日
リーフレットAの記録(その2)

2010年8月4日
リーフレットAの記録(その1)

2010年7月20日
無充実な休日
2010年7月17日
ヤナ夢をみた

2010年7月13日
コンペに応募した
2010年6月19日
雨あがりの散歩
2010年6月12日
嘘の成分
2010年5月20日
毎日のニュースを見るとき、見たあと
2010年5月13日
意見が2つにわかれるとき
2010年5月12日
食べる物についての方針
2010年5月1日
買ったものから自己分析(つづき)


2010年4月30日
買った物から自己分析

2010年4月27日
横断歩道のわたりかた
2010年4月26日
快適な買い物
雨が降る予感。
でも乾燥して曇っているよりも
雨が降って景色に水気が欲しい。曇りの日は好きだ。
冷蔵庫に食うものがなくなったので、スーパ—へ。
天候のせいか、火曜セールを見据えているのか、
店内が妙に静かだった。人が少ない。
人ごみがいやなモコピッチとしては、ゆっくり品を選べていい。
縦横無尽ないい気分だ。
だが
めったにないね…
レアケースであることを確認しておく。
買い手がたくさんいないと、経営できないからね。
快適なショッピングなんて、夢だ。
売り出しの日に限って多数ご来店頂いて当然
(トクしたい、しめしめ)
夕飯時間に限ってレジがコムのも当然
(忙しい、早く作りたい)
皆同じ思いだ。
もし人ごみの中でヘコムことがあっても、
この思想に立ち戻ることができればと思っている。
お互い誰なのか知らなくても
一緒にこの地域でで生きていこうよ と
心の声と目で呼びかける
ツヨガリ?
結局、気の強い人にはじきとばされるのが
オチだろうけどサ;
スーパ—を出ると、下くちびるに水滴が当たった。
早足で帰った。
2010年4月24日
そのままの姿を知ること
自分のコモノぶりにガッカリしていたところ、とあるブログ記事を見つけた。
……
自己否定的な人へ向けてのメッセージ…
現在のあり様に関係なく、今やるべき事をやるしかない、それが君の人生…
自己を改善しようと苦心することは無駄…
一切皆苦…
てな内容だった。
以前どこかで聞きかじった「森田療法」というものに近いと思ったけど、
療法という言葉にも、治療を目標とした姿勢が見られるため、
それすら捨てよということだった。
コモノであることをさらに徹底的に認め、
自分と一体化させることだと、わたしには感じられた。
しかしわたしなどより苦しんでいる人はたくさんいる。
その人たちにとってはかなり酷な言葉だと思う。
症状は治そうとするな、と言っているのだから。
「眠ろうとすればするほど眠れない」
のよなヤッカイな構造…
解決策を探ろうとすればするほど解決から遠ざかる…
「気づいたら治っていた」というようになるのだろう。
しかし治る保証はない。
いつになるのかもわからない。
……
ワタシハダメ
それでいい
ジンセイヒトソレゾレ
それよりテメェノ仕事ヤンナ
……
写真は1個100円で売られていた、焼きもち。
わたしに食べられなければ、誰かに食べられていたし、
売れ残って、廃棄処分だったかも知れない。
カレの気持ちがどうであれ、
生まれてやがて消える存在なんだ。
何はともあれコモノのまま行動する(=生きる)しかないってことか。
2010年4月23日
のびのび写真を撮りたい
写真を撮る時って、なんだか恥ずかしくありませんか。
みんな移動している中で一人だけ静止してるヤツがいる…
自分のそばを通りすぎていく歩行者や、車の視線の“網”が
体に覆いかぶさってきて、動きを封じてくる…。
見てる人をけん制するつもりでそっちを睨みたいが、
顔バレするだけだし、怖くてその勇気もない。
(モウ、被写体シカ見ナイヨ…視界は狭い)
かといって逆の立場、写真を撮ってる人を発見しても、
(変な人がいるな…)とはわたしは思わない。
一番危険なのは、緊張することで
楽しい写真撮りに集中できないことだ。
結果、いい写真も収められない。
この写真は、駐車場にて。
風呂あがりに涼もうと、散歩に出かけたときのこと。
何か落ちているのには気づいたが、木の芽か何かだろうと、
いったん通り過ぎた。
しかし木の芽が落ちているとしても、
おもしろそうな形だったなという印象が忘れられず、
引き返した。
……
撮るだけ撮って、この人形だけ置いて帰ることへの罪悪感で、
コイツを引き取り、今とりあえず玄関においてある。
目(黒目)がないし、どういうわけかか
緑色に被膜された針金が口から飛び出している。
あまり愛着がわいていない…
2010年4月21日
ネットで社会問題を調べる
写真は空き地でとりました。まんまる水玉が撮れてよかったです。
そしてこの周辺がいい写真スポットになりそうで、これから楽しみです。
……
現在のところ不起訴となっている、民主党小沢氏の問題について
何も知らなかったので、ネットディグしてみた。
内容については実際、よく把握できなかった。(えぇっ!?)
…政治資金とか名義とか、よくワカリマセンャ。
ただ多くの教養ある人々が、新聞と検察に仕掛けた、
市民に対する情報・印象操作に怒っている様子はわかった。
新聞やテレビメディアが伝える情報の信憑性についても
疑問と議論が起こっている。
しかしネット意見が正しいとは限らない。
どこの誰の意見を信じるかは、視聴者各々が比較して
取捨選択するしかないと思う。
小沢問題、普天間問題、などについて
問題そのものを論じることができる人は
あまりいないと思う。
基地がどこにあればいいのかについて、外交的視点から、戦術的視点から
*わたしは述べることができない。
小沢問題について、政治戦略的視点から、法律的視点から
*わたしは語ることができない。
好きなジャーナリストや専門家の意見に
同調しているだけである。
周りをキョロキョロ見ながら、ゆるりと怒りの拳を挙げている…
「〜だと思うゼ。つっても、オレも受け売りだけどサ」
知識も経験も足りないのが原因だろうが、
モロシロウトが知ることができる情報の
限界のような行き詰まりを今日は感じた。
チッポケ…。
2010年4月19日
後回しになった思考
仕事をしているときに、
急な事情あって中断せざるを得ない場面が
誰しもあるかと思う。
後回しになった仕事。
考えごとにおいても同様にあり、
一つのテーマについて、導入部分しか踏み込まずにいたところを、
外部的要因によって思考が遮断されてしまう時。(電話が入ったトカサ)
消化不良のテーマ。
それらが栄養になりきらずに
意識の胃袋がもたれを訴えている。
具体的な社会問題から
文章化しにくい感覚的テーマまで。
(もう腐ってるのもアルカモナ。)
仕事が少なくなった今の時期に
少しずつ取り出して、じっくりヒトリ協議してみたいと思っている。
日々の忙しさから素通りされたポイントがあるはず。
手前にあるものから一つ一つソシャクし直す。
とりあえず昨日、1つ消化した(実はヒトリガテンナノカ…?)
これは仕事のテク的なことなので特に書かないのであります。
かなりの長期戦になる。
(だから…
オカシカッタラオシエテクダサイ…;)
2010年4月18日
そばにおきたい植物とネコ
数ヶ月前、
水を入れたペットボトルに枝を浸けていたら、
空気と水の境界の辺りから、極細の根っこが生えてきた。
今ではふさふさ感がでるまでに。
水をたまに取り替えながらベランダで生き延びている。
黄緑色、短くて細い茎や葉を
生やしては枯れての繰り返し。
水だけで大丈夫なのかと心配しつつも、
一つの生物がそばにいる感覚は、いい。
コイツからしたら、もっとわたしに手入れほしいのだと思ってるだろうけど。
……
手放された猫を預かり、育てている団体があることを最近知り、
今日、猫たちのお披露目とやらをしているということで見に行った。
屋外広場の一画に、白テントが2つ連結。
なにやら人がいっぱいいて賑やか。
皆仲間内輪ッポクて 入りにくかったナ…
特に話しかけられたり、こちらから話しかけたりもせず、
猫たちを3分くらい見てダマッテ出て行った。
様子見だからネ、これでいっかと思った。
キジネコ?という
呼称を初めて覚えた程度。
〜
猫をそばにおいておきたいが、
飼うとなるとまた覚悟がいる。
猫の野生としての習性や生態を知る必要がある。
(キョセイはかわいそうだな…ニオイはするの?…)
今は「ネコ」イメージと記号と外見の中で
かわいがっているだけだ。
生身の獣猫をよく知らない未熟モノ。
そろそろ
リアルから逃げずに
近所を歩いている猫から
生態という目で観察してみようと思う。
2010年4月17日
写真撮りについて
藤の花が咲いていました。
ブログを始めて良かったと思っていることの一つに、
写真撮りがある。
数年前にせっかく買ったデジカメが、活躍しだした。
ドシロトなりに発見していることを記したい。
…個人的にです。写真全般について言いたいのではありません。
むしろ写真作品の見方についてはあまりよくわからないッ…
ただこれを読んでくれるどなたかは賛成してくれると思ったので。
・光を感じられるかどうか
=物の存在がよくわかるということでもある。
・人の目とカメラの目はかなり違うので、
現場でブツを見て感じた感動や伝えたい事に
近いものを表現できているか
またその要素が一部でも入っているか
・自分がいいと思えば対象は何でもいい。自由なんだ。
そのために、すこしは探す意識を持とう
写真は、記録としてだけでなく、
写真作品と意識して撮るってこともあるな、
その方が後から見ても楽しめる。
などと考えながら、
あまり撮ること自体にとらわれて、
しんどくならない程度に、撮っていこうと思う。
写真がマジ好きってわけじゃないが、
"しゃしん"って響きも好きなんだ。
しゃしんを摂る
ぱしゃっ
むしゃっ
しゃしんを盗る
シャッ
シヤッ(笑)
それに関連して…
集合写真ってサ…
一枚の四角に収まるために3次元世界の中でギュウギュウ詰めになって
みんな1方向を見てサ
なんとなくマヌケな写真の形態だなって思う。
コッケイで面白がってるんだけ。
批判じゃないヨ。
2010年4月15日
車と対面
先日借りた本の返却期限が、今日までであることに夕方になって気づき、
チョイ慌てで図書館へ。
近くまでは公共交通機関を使い、あとは歩く。
図書館の前は大きな道路で、車がバンバン走っている。
当然、両脇は歩道になっていてそこから正面入り口につながっているのだが、
その通りを歩きたくないので、あえて裏側に沿う道から遠回りをして入る。
理由は二つ。
排気ガスと車からの視線だ。
車の往来が激しいと、やっぱりその通りは刺激的な臭いになってくる。
その辺の空気もなんだか灰色っぽい。
排気ガスを風のように体に受けることになる。
そして車を持っていない劣等感からか、
味方のいないような寂しい気持ちになってくる。
カタミがセマイというのか…。
図書館の駐車場も広く、歩いてやってくる人なぞは少ない。
(「道路」とは車サマが鳴り物入りで移動ナサルするのための道?)
などとふざけて思ったりして。
そしておびただしい運転手の視線にさらされる厳しさョ。
(カッテにコッチが思っているダケダヨ…)
行くときは進行方向に車が対向するので、高速ですれ違うたびに
ビリビリ感じるものがある。
(ダレモミテナイッテ…)
車の2つのライトにも睨まれているように思える。
(目のペット…?)
車を持ちたいとは思わない。
わたしのような思いをさせてしまいたくないからナ…。
(オカネガナイの言い訳?)
歩行者と共存できている技術を持った車が出るまで待とう。
……
本は延長申請した。
借りたのに1文も読んでいなかったので。
…読まなきャ。
2010年4月7日
男として(pvの感想)
きのう子雨(コサメ)で、きょうは真っ晴れ(マッパレ)…。
…
パソコンで、あるバンドの衝撃的なPVを見た。
スピーディーな今の社会に適応しにくい、
マイノリティ的存在の男たちの顔を真正面から撮影。
(オタク的な人…また、それすらトビコエチマッテル人たち…)
彼らは各々が持つ 望み または夢?を書いたボードを持っている。
そんなショットで終始。
激しい音楽に乗せて何百人??たくさん出てくる!
私と同年齢であっても学校は別だったはず。
就職先も限られている。
よくわからないひとりごとをつぶやいている人、たまにいます。
友達になれそうにない…
タブー。テレビに出ることのない顔つき…。
私はちゃんと接して話した事はない。
そんな人たちの正面顔と内面を驚きとともに知る事ができた。
あんまり人のことをじっと見ちゃいけないけど…気になっていた人たちをじっくり見ることができた。
その企画自体を決行したこと、発表したことはすごいと思った。
しかし見ているうちに、だんだん自分に嫌気がしてきた。
自分を見ているようで。
彼らのような要素を持っているんじゃないか、
わたしがふだん恥ずかしくて出せない、隠しているような
彼らと共通した望み、欲望が露骨にボードに書き出されている…
叶いもしない理想的な夢を掲げている…
イタイヒト…見てる私も痛い人だとしたら…
語 り か け ら れ て い る よ う に 、 感 じ ら れ て く る 。
ただ、力強いメッセージも感じた。
“お前も俺も、同じ男だ”
ミテクレの姿、言葉のナイヨウは関係ない。
男みな熱いエネルギッシュ持ってるんだ。
それを認めることだ。
2010年4月6日
電車、バスにおいて
昨日も晴れていたが、今日の方がさらに晴れた!
…
バスで
なかなか発車しない時、あれ?と思っていると
杖をつきながらゆっくりと乗り込んでくる人がたまにいる。
ステップを一段を、な・ん・と・か・登るような。
えっちらおっちらという表現がピタリ。
席に座るまで、あたたかく見守ったり
待ったりするしかないのだけれど…。
なんだか間があきますよね。
今までのリズムが狂う時。
ぎこちない足音だけがひびく…。
本を読んでてもその間に気づき、ふと顔をあげる
全員が一人に注目している
その人の生活時間ペースを想像する
そういう時、ありますよね。
「それが何だ」ということナンですけれども…。
…
主に電車についてだけど、わたしは、次第に座席が埋まってくると、
自分が座っていて大丈夫か気になってくる。
外をチラ見して、つぎの駅から乗ってくる人々のなかに
お年寄りが混じっていて、かつ車内に全員が乗り込むと
人のほうが余るな、とわかると席を立つ。
その空いた席にお年寄りが勝手に座ってくれればいい。
「どうぞ」と言う勇気がないし、
「すみません」とか「ありがとう」
と言われるのも何かいやなので、
なるべくなら事前察知してやりとりを回避する。
そうしないと
お年寄りの身代わりになって立ってる感じがして恥ずかしいンダョ。
「立ち」は目立つし。
2010年4月5日
動物と出会う瞬間
たぶん飼い猫だと思いますが、
こんなに近くで撮れて、散歩をしてよかったと思いました。
なかなか近所を歩いている猫は、警戒心が強く、たちまち逃げてしまう。
ナニモシナイノニナ…
この時は、私の前を横切る時に、「ミャァ〜〜〜〜」
そして寝転がって背中をコスリつけ、すぐに去っていった。
…
帰り道、すぐ目の前にスズメが2羽降り立った。
2、3歩ジャンプして、すぐに飛び立った…。
…
卵のような、丸みがあって立体的で
もろそうな体を近くで久しぶりに見た。
ネコ代表、スズメ代表としてあいさつをしにきたのかもしれない。
「ヨゥ、オレタチをワスレルナヨ、ジャナ。」
などど
空想してみる。
小さな偶然の出会いに、これからも巡り会えますよう。
人間だけの世界ではない、
静かな住人(?)(構成員)たちと
道ばたですれちがう瞬間に
気づくことができますよう。。。。
(食べる物も何も持っていないけれども、
たまに、近づいてきてほしい。
テキジャナイ。ナカマナンダ。)
2010年4月4日
細枝
ピンボケで申し訳ありません。
レールの谷間に生えてしまっている小木、コボク。
ぶらぶら歩いているところにふと、発見した。
枝の切断面が見え、上のほうが黒ずんでいる。
もう枯れているのだろう。
せっかく成長させた身を、列車が通る度に、スリハネ飛ばされていたはず。
痛い痛い!(熱い?)壮絶…。
「カンカンカンカン…」拷問の合図だ;;
それでもまっすぐに伸びていった勇敢さよ!
…
私にできることは、コイツを発見できた喜びを忘れないこと。
小さすぎて、気づかずに生えては枯れていく植物。
生まれてから一度も、ゲージから外に出られない運命の動物。
世界中の他人の生死。
そんな感じで俯瞰してるわたしにも
時間通りにやってくる宿命的列車がある。
確実にわかっているのは、死の瞬間に来る列車だ。
時刻表には全人間の死亡時刻が…。
「えーと…モコピッチ行きは、何時何分ナンだ?」
「案外、あっちの都合で効率よく決められてンダナ…」
「ダイヤ改正したら、また見にこよう…」
……
大小、種類問わず様々な生死を目の当たりにしたり、想像することで、
「できるだけ生きよう」と感じる。
冷蔵庫には今、豚さんのお肉があります。
2010年4月3日
後悔
写真は、現地の看板に書いてあったのですが、柿の木です。
そう言われると、なんとなく柿の実のような香りがしたような…
気のせいかもしれません。
葉っぱが湿り気と光沢があって、なんとも柔らか。
桜などの他の木もそう。
今後、実がなるまで定期的に見に行く、楽しみが増えました。
昨日の記事、スーパ—に行く前に小散歩をしたとき、
ネコとの勝手出会い頭事件の他にもう1つ出来事があった。
それをワケあって今日取り上げざるを得ない…。
…
夕方、ほとんど誰もいない、桜の木も数本あるくらいの小さな公園遊歩道的なトコを歩いていた。
遠くに、おそらく定年後の夫婦と思われる2人がいた。
それなりに絵になりそうな場所に女性を立たせて、男性がカメラを構えているところだった。
私はおふたりのところをあまり邪魔してはならん、と思い、かなり迂回して通り過ぎた。
急いでないし散歩だし、歩く運動も兼ねてってのもあって。
そして、歩きながらこう思って終わらせていた。
「写真撮るような大した名所でもないのにな…でもあの夫婦なりの幸せがある。つつましくていいじゃないか。」
…
しかし今日、風呂に入りながらなんとなく思い出していた時に、
ハッとした。
「なぜ近づいてツーショットを撮ってやらなかったのだろう!」
断られていたかもしれない
既にカメラに充分収まっているのかもしれない
しかし、喜んでふたり並ぶ姿も浮かぶ。
もう遅い。スピルトミルクだ。
瞬時に思いを巡らすことができなかった。
その時その局面でベストとなるふるまい方。
まだわたしは青く、固い。
2010年4月2日
スーパ—において
スーパーへ行く道すがら、足下に猫がいることに驚き、ビクッとなった。そのビクリに猫の方も驚いたのか、ビクッとなった。銀色の皿に盛られた、薄茶色の粒を食べている最中だった。
食事中、驚かせてわるかったな…。
いかにモコピッチが小人物であるか、もう1例紹介したい。
スーパーで品物を選ぶ時、比較検討(優柔不断)のために、長らく棚の前を占拠してしまうことがある。
そこでもし、同じタイミングで、同じ物を買いたいと思っている人がいたとすると、気づかずにその人を邪魔していることになる。
そんな状況がありうることを考え、少しステップを踏んでいる。何秒かおきに左右に一歩、半歩、微々なる移動。
“いつでも離れられる用意はできている”アピールだ。
野球でいうリード、テニスでいうサーブ受け側の左右に揺れる動きに当たるかもしれない。
なぜなら逆の立場になったことがあるから…。
「早く決めて頂けません?」ナンテイエルワケナイ;そんな時はちがう売り場で時間をつぶすしかない。もしくは、離れた場所から様子をうかがう(キモめ?)。並ばないスタイルの順番待ちだ。
誰しも気持ちよく買い物がしたいよね?
…「お前がどんな動きしようが、関係ねぇ。ふつうに手伸ばしてとるぜ」
という人々もいるでしょう;。
………だいぶいるだろうナ。
『スーパーに於いて落ち着ける場所など無いのだ』
写真は暗いけど、黄緑の若葉が出てきた夕方の街路樹です。
2010年4月1日
…
今日雨だとわかっていながら、行く時は晴れていたので傘を忘れて出かけてしまった。
図書館で本を借り、出ようとするときにぱらぱらと降り出した。
服が濡れるのはいいが、本が濡れるのはマズイ。
館内でしばらく15分くらい滞在していると、運良く止んでくれた…。
…
別のことを考えていて、認識していながら忘れるこんなこと、よくある。
当時は仕事のことを考えていて、傘を持って行くことを重要事と捉えてなかったんだ。
逆に、「帰る時に晴れていて傘を忘れる」ことも、よくある。
優先順位の高いものほど注意を配り、低いものほどオザナリだ。
そして無意識に順位をつけている。
頭の中のこの処理(意識の向け方)が行動となって表れてくる。
そんな わたし という人でいいのか?
「したいようにしたらいい。」と、気にしない人もいるかもしれない。
全然まとまりませんが、
こんな事をよく自問しています…。
2010年3月26日
リンゴ
最近、リンゴを食べている。それまでは、リンゴジュースを飲んでいた。
食について意識を向けざるを得ない、ささいな機会があったからだ。
100%ジュースでも栄養はいいと思うんだけど、
とりあえず生ブツフルーツと久しぶりに向き合っている。
皮ごと食していいのか?調べてみても、農薬が残る残らないだとか、栄養が詰まっているだとかムいても変わりないだとか、素人目にはどうもハッキリしない。
食べた後はあごが疲れ気味になる(腹は満ちる)。
「店でよさげなものを選ぶ」→「皮をムく」→「芯を除く」→「シャリる」
コップについで即飲みのジュースと比べて、この行為もokなんじゃないかと思った。
ブログ第1回目の記事はこんなところで………いいでしょうか。
今後ともよろしくお願いします。